東京都内の書店で、店主と並んで棚を眺める。
「これ、良かったですよ。純文学っていうのかな。文章は硬質ですけど、読みやすくて。台湾の現代史とリンクさせてるのがいいですね。楽しめるし、勉強になったな」
『次の夜明けに 下一個天亮』(徐嘉澤著/三須祐介訳/書肆侃侃房)。よし、これは読んでおこう。
「あと、これ! なんていうか、とにかく面白かった、これは」
『リングサイド』(林育徳著/三浦裕子訳/小学館)は、すでに読んだ。たしかに面白い。あれこれ評論したくないような、情熱が溢れていて哀愁があって、読み心地がいい。
このところ台湾の小説の日本語版刊行が相次ぎ、書店をのぞくと何点かまとめられていることが多くなった。ハードボイルド、ホラー、あるいは『リングサイド』のようにプロレスをテーマにした小説など、手にとりやすい娯楽小説が増えたことが特徴のようだ。表紙カバーのデザインやキャッチコピーも、興味をひくものが多い。すぐ近くだけどじつはよく知らない国で生まれた物語だから、どことなく神秘的でもある。
僕も、すこしずつ手を出しはじめたところだ。書店へ行くとなにが置かれているかをチェックするようになり、『台北プライベートアイ』(紀蔚然著/舩山むつみ訳/文藝春秋)がかなりの確率で置かれていることに気づいたり、こうして台湾、香港、中国に詳しい専門書店の店主に薦めてもらったり、楽しんでいる。
この十年ほど、各地の本屋に会いに行き、すこし時間を共にし、見聞きしたことをもとに文章を書く、というのを繰り返してきた。ただ、二〇二〇年の春頃からは機会がぐっと減った。新型コロナウイルスに感染すること、感染させることを恐れているからだ。いわゆる取材目的での訪問を、できるだけ控えることにした。マスコミが報じる、通り一遍のことしかわからないが、感染者数の増減、医療現場の逼迫度、ワクチンを接種した人の割合などを見ながら、そろそろいいかな、いやまだやめとこうか、と次の動きを迷っている。
書店も、営業時間を短縮するなどそれぞれの方法で対策を講じている。自宅で過ごす時間が多くなったことに伴って本が売れているという話も聞くが、この状況で店を開け、客に来てもらい、お金を使ってもらう商売を続けるのは大変だと思う。
自室にこもってできる仕事をしながら、ふと、あの本屋はどうしてるだろう、と思うことも増えた。続けられているだろうか、と店のツイッターやホームページをのぞいてみることもある。日本の各地だけでなく、台湾、韓国、香港などにも思いは及ぶ。国内と違って何度も訪れている書店はないのだが、むしろ一度か二度行っただけの店、いつか再訪しようと思った店だからこそ、世界中がこんな状況では海外へ行く機会なんてずっと先になりそうで、ますます思いが募る。
この二十年余りのあいだに、最新刊も稀少な古書もネット通販で買えるようになり、パソコンや専用端末で読めるものが増え、スマートフォンがあればかなりの情報を受発信できるようになった。書籍や雑誌はかつてと比べて売りにくくなり、書店が次つぎと廃業していった。十年ほど前は、斜陽の業界という言葉もよく使われていた。
ところが、ただ消えていっただけではなかった。いっぽうで、個人で運営できる規模の書店を立ち上げる人が、全国各地にぽつぽつと、だが途絶えることなく現れたのである。二〇一〇年代半ばには、ちょっとしたブームといえるくらいに増えていった。
この現象に関心をもち、文章にしてきた。新しい本屋たちを動かしたものはなにか? 彼らは、新刊書も古本も扱う、雑貨など本以外のものも売る、飲食も提供する、イベントも開いて人を集める、生活の糧は別の仕事で得るなど、いろんな工夫をしながら店を営んでいた。もちろん、さほど儲かっているわけではなさそうだったし、数年しか続かなかった店もある。だが、書物の並ぶ空間、本の話をできる本屋が、多くの人に求められていることはあきらかだった。
やがて、これが日本に限られた現象ではないことを知った。台湾や韓国や香港でも、インターネットとデジタル化の影響で従来の書店が減少し、いっぽうで個人経営の小さな店が数多く誕生していた。直接目にしてはいないが、欧米などでも同様のことが起きているようだった。
はじめての台北書店巡りは、じつに刺激的だった。
小小書房という、名前だけでも「台湾独立系」を代表するかのような書店では、挨拶を交わし、店内のテーブルにつくなり、口を思いきり開けないと入らない極太の春巻きやビールを勧められた。どちらも、近隣の商店がつくっているものだという。棚に並んでいるのは、思想、哲学、文学が中心で、自店で制作している同人誌をはじめとしたミニコミ、インディーズ系のミュージシャンのCDなども並んでいた。次の土曜日にはドストエフスキー『悪霊』の読書会が予定されていた。
店主の劉虹風は、商店街で、地域の活性化、共生に貢献する意思をもった店を紹介する地図を見せた。ノートパソコンに「弱勢議題」「東南亜労働者」「原住民」「環境問題(原発)」といった言葉を打ちだし、私はこういう問題に興味を持っている、書店をやることで関わっていきたい、と話した。
硬派の社会活動家が本屋をやっているような、ちょっととっつきにくい印象を抱くだろうか?
台湾では、それはすこし違うようだ。
永楽座という書店は、その地域の文化発信拠点だった劇場の名前を引き継いでいた。芸術家や芸術家の卵たちが自身の作品をアピールしたり、ブログのアドレスを告知したりできるスペースが設けられていた。水牛書店という店では、店主の地元の農家から取り寄せた米や野菜なども販売し、それらを食材とした食堂も開いていた。店舗運営の収益を、経済的に恵まれない子どもたちの就学支援に回していた。マッサージルームも併設し、視覚に障害のある人の雇用にも取り組んでいた。フェミニズムや同性愛をテーマにした専門書店もあった。
どの店も、そうした取組みと連動する本を前面に出していた。もうひとつ重要なことは、店舗デザインも趣向を凝らしていて、店内の雰囲気が明るかったことだ。客に楽しく過ごしてもらうことと社会的なメッセージを発することが一体になっているのである。店主たちは、世の中に対して真面目で、でも言葉や身振りは軽快で、話を聞いていて楽しかった。
既存の書店が苦境にあるいっぽうで、個人が営む小さな書店がたくさんできている。動向だけを見ると日本と同じなのだが、本屋たちが基盤としているものはすこし違うというのが、わずかな日数ながら現地を歩いた印象だった。
背景に、歴史がある。台湾は、かつてはオランダなどの欧州各国に、一九四五年までの五十年間は日本に占領統治され、第二次大戦後も中国の内戦の影響を受けてきた。一九四九年から一九八七年までの三十八年にわたって戒厳令下にあり、政治的活動や言論・表現の自由が著しく制限されていた。もちろん出版物も厳しい規制の対象で、政治、思想、哲学などについての本を読むことは困難だった。
知合いの台湾人から、当時の思い出を聞いたことがある。学生だった彼はある日、露店が軒を並べる市へ出かけた。そこには本を売る店も幾つかあり、声を掛ければ隠している発禁本を売ってくれる。
「警察に見つかったら逮捕されるかもしれないから、どきどきしていました。本屋さんのほうも同じなんですね。密告されたら大変だから、売る相手を間違えないようにする」
「党外人士」という言葉も教わった。もとは、日本の占領統治のあと一党独裁体制を敷いてきた国民党に対抗した政治運動家たち、台湾の民主化の実現のために闘った政治家たちを指すという。
「でも私は、あのとき露店商をしていた名前もない本屋さんたちこそ、党外人士と呼ぶべき人たちだったと思います。彼らはあの状況のなかで禁書を売り、若者たちは政治や思想を学んだ。あの人たちがいたからこそ、いまの台湾がある」
一冊の本を手に入れるために緊張を強いられた時代から、まだ三十年余りしか経っていない。このことは、いまの台湾の本屋たちの姿とも無関係ではなさそうだ。
日本とはずいぶん違うように思えるが、どの国であっても、本屋には本を売るだけではない、社会的な役割のようなものがある。
書店がそうだから、当然、小説も歴史や社会問題と無縁ではいられない。
『次の夜明けに』は、三代にわたる家族を描いた連作短編で、すべてのエピソードの背景に現代史や今日の社会問題がある。日本語を覚えさせられ、名前まで日本名に変えられた時代のあと、再び中国語へと変えられるという言語の翻弄。民主化を目指す闘いに孕む矛盾。東南アジアから出稼ぎにきた人びとの不法な労働環境。ダム開発、原発、いじめ、セクシャルマイノリティ……。次から次へともちあがるテーマは、登場人物たちの日々の生活と密接に絡んでいる。東日本大震災の話も出てくる。不倫の話まで出てくる。
台湾の自由を目指し奔走した父親が、同性愛者の息子に女性との結婚を望む。僕はさっき、一九四九年から一九八七年までは戒厳令下にあって、と世界史の教科書みたいに年次で区切ったが、ひとくちに民主化といってもそう単純な話ではないことがわかる。あとがきでは、著者が日本と縁の深いことも説明されている。
『リングサイド』も、テーマはプロレスなのだが、それでも現代史や社会問題から離れることはなく、青の政党(国民党)と緑の政党(民進党)といった言葉が出てきたり、地方都市の再開発や原住民の問題が絡んだ物語が書かれていたりする。ただ、「日本版 著者まえがき」で著者は、かつて日本の有名レフェリーが書いてヒットしたプロレスの内幕暴露本に対抗するメッセージを力強く宣言している。個人的な情熱をひたすら注ぎこんだフィクションで日本の読者まで楽しませてしまう著者と訳者の筆力が、この小説の最大の魅力かもしれない。これからは、台湾の小説、韓国の小説、といった括りを意識せずに読む人も増えていくのではないだろうか。
なお、『次の夜明けに』も『リングサイド』も、数多くの台湾の小説を日本に紹介し、二〇一八年に亡くなった翻訳家・天野健太郎さんが最後に手がけようとしていた作品のひとつであったことが、それぞれの訳者あとがきに記されている。
小小書房の店主との話のなかで、印象に残った言葉がある。「私は、人が好きで、人が嫌いなんです」。もとは会社勤めをしていたが、気分の塞いでいるときも笑顔でいなくてはならないのがイヤで、どうせ忙しい毎日なら自分らしくいられるように、と独立したのだという。
日本の本屋と話していても、この言葉をよく思い出すのだ。知りもしないで決めつけてはいけないが、このブックフェアを開いた本屋たちも、たぶん、人が好きで、人が嫌い──そんな彼らの薦めるタイトルにも注目しながら、次に読む一冊を探してみよう。
いしばし たけふみ
出版ジャーナリスト。
著書に『本屋がアジアをつなぐ─自由を支える者たち』(ころから)、『「本屋」は死なない』(新潮社)など。『「本屋」は死なない』の繁体字中国語版『書店不死』は、台湾・誠品書店が選ぶ2013年閲読職人大賞を受賞。